ここに掲載された情報は、あくまで一般的な解釈に基づき疾病・治療法に関する情報を提供する目的で作成されたものであり、特定の手技等を推奨するものではありません。個々の患者さんの診断および治療方法については、必ず医師とご相談ください。
私と心臓弁膜症
2021年8月21日(土)にオンラインフォーラム「わたしの『心臓』大丈夫?! 忍び寄る「弁膜症」を知る」が開催されました。どのような経緯で診断されたのか、また術後の経過等について、3名のゲストにご自身の体験を語っていただきました。
私と心臓弁膜症
武田鉄矢さん「医師との対話と手術の決断」
歌手・俳優の武田鉄矢さんは、心臓弁膜症のひとつである大動脈弁狭窄症と診断され、2011年に手術を受けました。
診断後、自らの病を受け入れ、手術を決断するまでには長い時間が必要だったと言います。その葛藤と決断までの心の軌跡をご紹介します。
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気づきにくい心臓弁膜症の症状に
武田さんは……
武田さん:弁膜症が近寄ってくるときは静かなものでした。手術の4~5年前に鼻風邪をひき、ロケ現場近くの病院を受診しました。そこで若いお医者さんが私の胸に聴診器をあてたところ、表情がたちまち曇っていきました。
「少しノイズが出ているんですけど、心臓のほうに病気ありませんよね?」
背中に寒いものが走りました。聴診器でわかるほどの異常が自分の心臓にあるのか、と思いました。
当時50代なかば、テレビドラマで金八先生を演じ、仕事も体力も充実している時期でした。
武田さん:撮影では生徒を追いかけたり、野山を走り回ったりする、20分間ぐらいのワンシーンも撮りました。さらに休みの日はジムに行って自転車を漕ぎ、泳いだりもしていました。何か痛みや息切れなどが激しく現れるのであれば症状がわかりやすいのですが、自覚症状がありませんでした。
長距離を走れば息苦しいですし、柔道部にいましたので腰を鍛えるために階段の上り下りをしたりします。
そのときは息苦しいですが、それは誰もが自分と同じように息苦しく感じると思います。
医師から手術は勧められなかったのでしょうか?
武田さん:先生の表情は明るくなく、「黄色信号です」と言われました。ということは赤までは待てるけど、赤になったら……というような時限付きの言葉でした。
60代になり、状況は変化したのでしょうか?
武田さん:人間ドックの先生の顔つきが変わり、「赤信号に変わりました。専門医の診断を受けて決心してください」と言われました。2011年のことです。その後心臓の専門医を受診しました。
ある医師との対話で手術を受ける決断へ
武田さん:医師の方は手術を急かさず、「時期が来たら考えましょうね」と言い、
「なんで自覚症状がこんなにないんですか?」と聞くと、「武田さんによく似て心臓は頑張り屋さんなんですよ」と言われました。
心臓なんて普段話し相手にしないと思います。動いていることが前提で、元気にしてるお袋みたいなものなんですよね。ほっとけばいい、ときどき電話すればいいやと。それが、「頑張っているんだ」という一言を聞いたときに自分の臓器と向かい合う気持ちになりました。
病を受け入れること
武田さん:私は生まれが戦後昭和なのですが、その時代の年寄りたちの口癖で「俺の身体は俺が一番知っているんだ」という自分の健康に対する自負がありました。なので、病気を受け入れるには少し時間がかかりました。
病気というのは人生のマイナスではないと思います。人生の中には病気という季節もある、心臓を患ってから、そう考えるようになりました。とある作家さんがお書きになった俳句の中に「縦に見るススキもいいけど、横になって見るススキも乙だな」という句があったんです。横になって、というのは病気になってススキを横から見るというのも、人生の中にある時期、季節なんだと。そんなふうに理解すると、病気という自分にやってきた季節をどう過ごすかは人生の中で大事な味わいのひとつなんじゃないかと思います。
私と心臓弁膜症
志村千陽さん「大動脈弁狭窄症 術後の生活」
ピアニストの志村千陽さんは、心臓弁膜症のひとつである大動脈弁狭窄症と診断され、2019年に手術治療を受けました。手術後は、それまで息切れがあってできなかったことが、できるようになったといいます。
志村さんの体験をご紹介します。
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心臓弁膜症と診断されるまで
自覚症状はありましたか?
志村さん:私は息切れだけ自覚がありました。前々から肺気腫がありましたもので、息切れはいつも起きておりました。なので、心臓に原因があるとは全く思いませんでした。
心臓が原因ではないか、と気づかれたきっかけは何でしょうか?
志村さん:知り合いのお医者さまと一緒に家の近くの坂をおしゃべりしながら登っていました。そのお医者さまとはときどき同じ坂をご一緒していたので、以前からの私の体調がどうだったか、よくご存じでした。
そこで「息切れが今年はとてもひどくなっている、もしかしたら間質性肺炎かもしれないから」と言われ、検査を受けました。検査の結果、肺は問題なかったのですが、大動脈弁狭窄症ということがわかりました。
そのお医者さまには本当に感謝しております。
その後初めて外来にお伺いした際、大動脈弁狭窄症が心臓弁膜症の一種である、ということを知りました。
この後志村さんは医師と相談し、カテーテル治療を受けました。治療後の体調はどうですか?
志村さん:手術直後の入院中、階段を上って息切れするか早く試してみたくて、リハビリの先生とワンフロア上がってみたのですが、とてもスムーズに上がることができ、大変嬉しかったです。
ピアノを弾くときはどうですか?
志村さん:手術前は小さな音でも、ゆっくり弾いても息切れがし、ピアノが弾けなくなって諦めておりました。それが手術後には、何時間でも、どんなに大きな音で弾いてもまったく支障がなく、楽しく演奏ができています。
私と心臓弁膜症
吉川洋子さん「大動脈弁狭窄症の症状は“疲れやすさ”」
料理店を営む吉川洋子さんは、心臓弁膜症のひとつである大動脈弁狭窄症と診断され、2020年に手術治療を受けました。手術後は疲れやすさも和らぎ、以前の暮らしを取り戻すことができたといいます。
吉川さんの体験をご紹介します。
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心臓弁膜症と診断されるまで
吉川さん:旅行へ行ったりすると、ちょっと疲れることがありました。歩くのが速い主人を追いかけるから苦しくなるのだと思っていました。
心臓が原因とは思わず、ただドキドキする鼓動の苦しさは感じながら歩いていました。
その後かかりつけ医での健康診断で心電図に異常が見つかり、心臓や血管の病気を専門とする循環器クリニックでの精密検査を勧められました。超音波を使って心臓の動きや大きさ、血液の流れを確認する心エコー図検査で吉川さんは心臓弁膜症と診断されました。
吉川さん:太っているから苦しいのかと思っていて、まさか心臓が悪いとは思っていませんでした。
弁膜症についてはご存じでしたか?
吉川さん:知りませんでした。先生に「手術をしないとダメだ」と言われ、「はい」とその場で決断しました。主人からも「お前は運がいい」と言われ命拾いした思いでした。
術後の日常生活
専門医の診断を受け、2020年に吉川さんは手術治療を受けました。手術後は息苦しさが和らぎ、仕事を再び楽しめるようになったといいます。
吉川さん:手術する前は、仕事中に休憩を挟んでいましたが、今では休憩をとらなくても作業ができるようになりました。手術をしていただく前と後では体調が全然違います。歩くことも以前は休み休みでしたが、今はさっさか歩けるようになりました。手術をしてすごくよかったと思っています。